私は自分の髪を触っている。

歳の離れた人と話すと自分がいつかぶつかる問題に会っている、対処や生き方はそれぞれなんだけど。
生き生きしている人は困難も割り切って。
年老いても凛として、美しくてしっかりと立っていてこっちも少し凛とする。
できることならこうゆう人になりたいんだな。ってよく感じています。

気持ちも弱くてよかったんだな 最近ようやく自分は動いてもいいと思った。

昔、大学1年生の頃毎週毎週、人を呼んで講義を聴いてレポートをかく授業があって。
なにも慣れていなくガチガチだった中
あるとき大手メーカーさんが、お話の中にボランティアや自分の病気のことを話してくださって
そのときどうしても感想とは別に。
色々自分に対する不安とか、偽善的じゃないのかとか、弱さとかレポートで質問をさせてもらった
後日ものすごく丁寧で優しいお返事がきて。一冊の絵本を進めてくださった。
それが 色んなことで繋がっていて、お風呂で身体をあらっていたら唐突に思い出して
何も分からない自分にちゃんと生きれるよって教えてくださって。
今なんだか、そんな意味でもわかってきて少し涙ぐみました。
ようやくここまで理解できた、生きれた自分にも嬉しくて

色んなことや色んな人がうすい糸で繋がっていてよく辿る 繋がったとき嬉しい
搬入の時のカッカッかしたときの景色から、これができそうだなってゆうことが今みつかって
それがもしかしたら今までの自分を肯定できそうな気が直感でする。もちろんダメかもしれないけど
就職活動をしたときの自己分析が今少しまともになったんだとおもう(当初ひどかった)
描くこともそれに繋がっていくとおもう 私の場合
もっと前よりうまく気がする 解ってきたから

たぶんそのレポートも形成されているきっかけと思いたい

大事なことはやっぱりどっかで引っかかっていて きっとずっと忘れない






新しい自分がこの歳になって経験できて嬉しい。
自信もってもいいのが嬉しい、みんなこれを経験してるからなのかな、普通なのか 
それは分からないけど でもいまいろんな子の聞いた話の色んな気持ちをなんとなくこんな気持ちなのだろうと考えれるようになった。
全く違う側面の自分を発見している。結構戸惑う、手放しで喜んだことがないからものすごくそれをするのは怖すぎる。

自分を自分が大事にしてもいいとようやく身体や頭も追いついてきたから、視野が広がったと決めつけた。決めつけていくしかない
自分で自分に指輪でもおくろうかと思って探したらこのサイトURLに似ているのをみつけたので。

なんとなくこれも縁なので、もうすこししたら買う。私の為に